「本能寺の変」と岐阜城

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大河ドラマ「真田丸」は、「本能寺の変」まで進みました。
意外と「本能寺の変」の描写は一瞬であっさりと終わりましたが、
実際にドラマチックなのは、これからの混乱や争乱です。

これから「真田丸」では、信州を中心とした「天正壬午の変」が描かれていくでしょう。
「真田丸」を見ていると分かりますが、
「本能寺の変」自体も、大きな事件でしたが、変後の各地の争乱も大きな出来事でした。
天下を統率していた信長が、いきなり討たれた訳です。
特に信長配下の各将は、これからどうなって、どうして良いのか分からないはずです。
ドラマ内で真田昌幸が「まーーたっく分からん!!」とはっきり言っていましたが、
当時の様子を、よく表現しています。
この頃は、日本史上、稀にみる混乱期間だったのではないでしょうか。

現代で例えると

アメリカ大統領や国連が、いきなりテロで殲滅されるようなものです。
9.11の時を思い出してみてください。
いきなり大規模テロが起こり、誰が何のためにやったかも分からず、
日本もターゲットにされるかもしれない不安にさらされ、
何をどうすれば良いのか分からない状況だったのではないでしょうか。
「本能寺の変」の時は、テレビもなければインターネットもありませんから、
隣にいる武将が、味方なのか敵なのかも分からず、
真田からすれば、周辺の地域の状況も把握できずにいたはずです。

そして、この時、岐阜城はどういった状況だったのか
岐阜城主であった織田信忠も明智に討たれています。
つまり、岐阜城の城主が不在になったと同時に、美濃国主も不在という状況に陥りました。

岐阜城を掌握したのは斎藤利堯

斎藤利堯は斎藤道三の子にあたり、斎藤義龍の弟になります。
斎藤家の血筋でありますが、この当時は信長の側近であり、岐阜城の居留守役でした。
そもそもですが、信長は斎藤義龍とは敵対していましたが、斎藤道三とは舅婿関係であり、同盟関係でした。
斎藤利堯は斎藤道三の息子として、あるいは信長との義兄弟として重宝されたいた関係だったかもしれません。
そんな立場から、織田信忠がいなくなった岐阜城は、実質的に城代となる資格はあったようです。
どちらかというと弟の斎藤利治の方が武功が多く、信長に気に入られていました。
実際に斎藤利治の方を、信長は斎藤氏の後継者として立てていたようです。
しかし、それだけ信頼があっただけに「本能寺の変」の際は、斎藤利治は織田信忠と共に京都へ行っていたため、運命を共にする事になりました。

美濃国内は争乱へ

そんな背景を考えると、利堯が色めきだった事が想像できます。
変後の2日後には、瑞龍寺、崇福寺、千手堂、西入寺に禁制を掲げました。
しかし、行動をしたのはここまでで、以後はニュートラルに中立的に動きます。
明智に付く訳でもなく、秀吉を支持する訳でもありませんでした。
また、この頃、北方城では、安藤守就と稲葉一鉄による北方合戦が行われていましたが、舅となる稲葉一鉄を支援する事もありませんでした。
東濃でも争乱が起こっていましたが、動きはありませんでした。
真田昌幸のように「まーーたっく分からん!!」という状態だったのかもしれません。
周辺の争乱で疲弊してきた頃に、一挙に美濃全体を掌握しようとしていたのかもしれません。
単純に岐阜城を維持する事に務めていたかもしれません。

結果として、岐阜城は無傷だった

そんなこんなしているうちに、6/13に天王山で明智が、信孝と秀吉に討たれます。
6/20頃に、信孝と秀吉が美濃に入ると、斎藤利堯は岐阜城をあっさりと引き渡します。
結果的には、利堯は変後の岐阜城を無傷で守ったといえます。
6/27の「清州会議」にて、三法師が織田家の跡継ぎに決まると、後見人である信孝が岐阜城主となります。
それからは利堯は信孝の重臣として従う事になり、続いて岐阜城に務める事になります。
結果を見ると、利堯は岐阜城を守ったという評価だったようです。
しかし、この後、秀吉と信孝の仲が悪くなります。
利堯は稲葉一鉄に勧められて岐阜城を離れます。
「賤ヶ岳の戦い」で信孝が自害する事になりますが、それからは利堯は誰にも従わなかったそうです。

利堯の行動はベストだった!?

利堯は、「本能寺の変」の際に岐阜城をどういったつもりで掌握したかは分かりません。
もしかしたら、岐阜城は安土城のように、灰になり、歴史から消えていた可能性もあります。
しかし、利堯の判断で、どこの争乱に巻き込まれる事なく、再び織田家に返しました。
18年後の「岐阜城の戦い」にて、岐阜城は灰となりますが、この18年を繋いだだけでも、利堯の貢献は大きかったかもしれません。
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稲葉 恒平

岐阜お城研究会事務局長、マーケティング
岐阜市生まれ、岐阜市育ち。 稲葉一鉄系傍流の末裔。 武将の末裔の家系だけに、幼い頃から歴史好き。小学生の時に大河ドラマの「信長」や「春日の局」を見て、岐阜が歴史の中心だと考えました。 大学~30才頃までは東京に出ていましたが、逆に岐阜の歴史の深さを感じました。いつもお城が見える岐阜市の風景は素晴らしい、と感じながら岐阜市で生活しています。 本業はフリーのカメラマンをしてますが、こうして文章を書くのも好きです。

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